間接照明の灯りと過ごす静かな夜
私が育った実家の居間の照明は、天井の真ん中から吊り下がっている典型的な昭和の
スタイルで、明かりは、生活をするために暗闇を照らす道具でした。
光の色は3段階に調節でき、夕方は中の光、日が落ちて辺りが暗くなると、紐をひっぱり、一番明るい色に。
夕飯を食べる時になって、「何だか今日暗くない?」と誰かが紐をひっぱるなんてこともしょっちゅう。
そして、最後に居間を離れる人が豆電球の小さい色に切り替え、防犯対策なのか、習慣なのか、誰もいない茶の間を申し訳ない程度に朝まで照らしていました。
現在の実家の居間は、紐からスイッチへと変化しましたが、今も天井の真ん中で煌々と隅々まで照らしています。
こんな環境で育ってきたので、生活の中に間接照明を取り入れ、灯りに癒される空間づくりを知った時は、なんておしゃれなんだろう!と衝撃を受けました。
そして、いつしかこんな空間で生活したい!と長年憧れを抱いてきましたが、
ようやく実現できたのは、つい昨年のことでした。
以前のリビングはシーリングライトの下に、大きなダイニングテーブルがあり、そこで家族が本を読んだり、娘も勉強したりするので、目の負担を考え、明るさと機能性を重視。
娘が大学生になり、リフォームの計画を始めた時、最後までこだわって悩んだのが、照明とコンセントの位置でした。
家具の配置を決め、生活動線がイメージできたら、そこに照明を合わせる。
間接照明の位置を考えるとコンセントも適切な場所に増設する必要があります。
そして、これが今の我が家。
シンママになったので、限られた少ない予算の中でのリフォームでしたが、私の中では大満足です。
間接照明の種類も近年の大きな災害を目の当たりにして、いざという時に活用できるよう充電タイプも取り入れました。
癒しと実用性を兼ねた優れものです。
好きな音楽を聴きながら、さまざまな灯りの中で過ごす夜。
ここまでの道のり・・・色々あったなぁ。
テラス席で娘とランチ
娘と久しぶりに予定が合ったので、ランチに出かけました。
訪れたのは、ずっと気になっていた二子玉川の 「トキオプラージュ ルナティック」フレンチのお店です。
このお店に行きたかった理由は2つ
一つ目は、多摩川を一望できるテラス席があること
二つ目は、リーズナブルに本格フレンチがいただけること
正面には、多摩川が広がり、右手には、東急田園都市線と大井町線の往来が見えます。
この時期でも、テーブルごとにストーブが完備されているし、膝掛けの用意もあるので、寒さは感じませんでした。
そして、リーズナブルな理由ですが・・・
事前に食券を購入するか、アプリをDLして座席から注文する、そして、出来上がったら番号を呼ばれ、カウンターに自分で料理をとりに行く、完全なセルフサービスです。
もちろん、食べ終わった食器やカトラリーも自分達で運びます。
店内は、地元のグループ、カップル、お一人さまなど様々な方が来店されていましたが、周りのお客様を気にすることなく、それぞれのペースでお食事を楽しんでいました。
オーダーしたメニューは
・サーモンのカルパッチョ
・牛すじのシチュー
・本日のパスタ
・シーフードグラタン
・フランスパン
・グラスワイン
一人あたり、2500円くらいでした。
サーモンのカルパッチョがとても美味しかったので、先月成人したばかりの娘にワイン飲む?と聞くとそうねぇ〜と、急遽ワインも追加。
気がつけば、外でこうして一緒にお酒を飲むのは初めてでした!
多摩川を眺め、日常のたわいもない会話をしながら
「美味しいね〜!」と言ってくれる娘。
お料理も美味しかったけど、娘とこうした時間を過ごせたことが一番嬉しかったかも。
この先、こうして一緒に食事できるのもそう多くはないと思うと、
「思い出のランチ」の一つになるのでしょうね!
さあ、次はいつ一緒にいけるのかな。
思い出した父の姿
朝の風景
朝、早く起きて自分のための時間を持つ朝活を初めて、もうすぐ1ヶ月。
主に読書とブログ開設の準備にあてているけど、わからないことが多過ぎて、
1時間かけてようやく問題が1〜2個解決なんてこともざら・・・
そんな時は、こんなに時間かかって、これだけしか進まなかったって落ち込むことが多いけど、着実に前進していることは確かなので、なるべくポジティブに考えるようにしている。
でも、わからないことがあえば、ネットで検索するとだいたいは解決するので、本当にありがたい。
そんな日々を過ごすうちに、ふと亡くなった父のことが思い出された。
父は、交通事故に遭い、40代の後半に肢体の自由が効かなくなってしまった。
そんな父に新しい楽しみをもたらしたのはパソコンだった。
父がパソコンを購入したのは、30年くらい前のことで、当時はようやくメールが普及し始めた頃だった。
秋葉原で購入したパソコンの前に、朝から晩まで、時には母に早くお風呂入って!と小言を言われるまで
本を片手に画面に向き合っていた。
キーボードを打っている様子はあまりなく、実家に帰るたびに、母と二人で、
1日パソコンの前で何やってるんだろうね・・・
飽きないのかね・・・
そんな会話をよくしたものだ。
それでも、数年経つと、地域の資料館のHPを立ち上げ、我が家の壊れたパソコンを修理したり、
パソコンの知識はかなりのオタクレベルに達していった。
今のようにググったら何でも教えてくれる時代ではなく、本を片手に自力でパソコンの技術を習得するのは
本当に時間もかかるし、大変だったと思う。
こうやって自分が日進月歩の日々を過ごす中で、父の凄さを感じ、そして、生前にそのことに気づいて、
父のHPを引き継いであげられなかったことに悔いが残る。
父が亡くなって5年目にして、ネット世界に踏み込んだ私。
偶然ではなく必然なことだったのかもしれない。
わからないことだらけで、投げ出したくなる時は
父がパソコンに向かっていた姿を思い出し、がんばってみよう!